kurusisugiの日記

あったことと、考えたことです

ディズニーランド

夢の国へ行ってきた。ランドへ行くのは8年ぶりだったので、変わっているところも多く楽しかった。楽しかったのか?多分楽しかった。

プロジェクションマッピングの技術の発展が目覚しく、それを使ったショーやアトラクションの演出が目立つ。

シンデレラ城は鬼のように改修工事がなされていた。鉄骨が着くとだいぶ低く見える。本来の高さより高く見えるように遠近法を駆使して作られた城の本当の高さが分かる。

ハロウィン期間なのでそこらじゅうにオバケのオブジェがあったり元々あるオブジェがカボチャを被っていたりするのだが、相当可愛かった

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画像横になっちゃった


ディズニーは本当に楽しかったし、行ってよかったとは思う。でも同時に、小さい頃にディズニーに行った時のあの感動はもう一生味わえないんだなとも思う。

ディズニーに行かずとも、昔は本を読むだけで、素敵な絵を見るだけで、イオンに行くだけで、映画館に行くだけで心臓がバクバクするほど感動した。そしてその後自分の手でどうにかその感動を止めようと文書に起こしたり絵に書いたりした。何か記録しておかなくては行けないという義務感があった。 あの熱量も感動も、多分もう一生無い


感動はともかく熱量すらどこかに行ってしまったのは本当にまずいと思う。


コリコランとか言う

コリコランてマジで何?と思ったらあれか!肩のやつか!

名前が可愛いですねえ。真面目な会議でこの名前が発表されたと思うと益々可愛い。きっと良い会議がなされたのでしょうね。

名前が決まってからは「コリコラン商品発表会議」だの「コリコラン予算会議」とかもあったのかな。


定番のグッズ、書こうとおもったんですけどないんですよね。「めっちゃ書きやすいのでこのシャーペンしか使いません!」みたいなやつすごい憧れます。

クルトガとかフリッパー?とかが使いやすいとは思うんですけど、あれなんですよ。気合い入れて買ってもすぐ無くしちゃうんですよ。それが嫌なので家に何故かあるカスみたいな書き心地のやつ使ってます。


人より物を無くしやすいと気づいたのは小学校入ってすぐの頃でしょうか。消しゴムとか鉛筆とか週一くらいで無くしちゃうんですよね。

周りもそんなもんだと思ってたし適当に落ちてた奴拾って使ってたのであんまり気にしてなかったんですけど、「4年間使ってた消しゴムを今日とうとう使いきった」とか聞いた時は何かの冗談かと思いました。みんな鉛筆とか消しゴムって4年間無くさず居られるもんなんですか?


私は油絵を描くのですが、道具がめちゃくちゃ多いんですよ。パレット、絵の具十二色、筆5本、筆洗油、リンシードオイル(絵の具薄めるやつ)パレットナイフなどなど

無くさないわけがないよ

それに加えてパレットと筆は毎回持ち帰って洗わなくてはなりません。

もうまともに機能する筆なんて二本も残っていませんし、パレットはとっくにどっか行きました。パレットから無くなることあります?仕方ないのでキャンパスに直接絵の具を出してパレットナイフで書いています。パレットナイフはパレットに着いた絵の具をこそげる道具らしいです。

こんなだから絵が上手くならないんですかね?もうちょっと管理がしっかり出来ていれば集中してかける気もします。 それが出来たら苦労しませんが。

受験のために画塾に入るのですが、呆れられる未来が見えていますね。



日記

文化祭の準備をした。本当に疲れた。

人を信用することを学ばなくては行けないと思った。

忙しすぎると、腹が減らないことに気づいた。でも体重は減っていなかった。

本当に疲れた

バイトが初めてもいないのに距離感の近いブスの小男が居て、早速やめたい。

お金欲しい。

終わるかなー準備

照明失敗しないだろうか。


終わり

埼玉ダサすぎる

お題「どうしても言いたい!」
私の地元は埼玉県さいたま市だ。
私の学校は東京にあるので、よく「ダサいたま」とバカにされる。新宿や自由が丘に住んでいる奴に言われるのはめちゃくちゃムカつくので許さない事にしている。

ただ、赤羽在住の友人にバカにされるのは許している。赤羽在住だからだ。

赤羽在住者以外にバカにされるのは許し難いが、実際「ダサい」というのはかなり適当な表現だと言えると思う。

田舎に住んでいましたと胸を張って言えるほど田舎ではない。かと言ってけして都会じゃない。大阪や札幌や博多などの地方都市ほど東京から自立して繁栄している訳では無い。東京に癒着しているにも関わらず、川を渡らないと東京には行けない。

「埼玉っぽい」としか言えない寝ぼけた地域である。埼玉県てだけで寝ぼけているのに、「さいたま市」まで着くともう救いようが無いくらい寝ぼけている。本当にダサい。ダサすぎる。

同じ埼玉県でも飯能や秩父まで行けば立派な田舎だし、ぼんやりと観光名所にもなっている。

さいたま市になにがあるかと聞かれると本当に困ってしまう。
何も無いと言ったら嘘になる。生活出来る全てはあるが、特筆すべきものは無い。

大宮駅前にはルミネも高島屋もあるし、新都心にはバカでかいショッピングモールもある。
電車に乗って20分でなんでも揃うことは揃う。生活必需品どころか、多少は生活を豊かにするものも揃うだろう。

けどダサい。なんでもあるけど、なんにもない。

高島屋はあるが、トイレは和式だ。
タピオカ屋はあるが、違法建築のビルに入っている。
原宿に本店を構えている服屋は、「本店で売れ残ったんだろうな」みたいな服ばかり売っている。

なんでも揃うが、わざわざ遠方から人が来ることは決してない。
遠方からさいたまに来るくらいなら東京に行くだろうし、東京の人間がさいたまに来ることはまずない。

さいたまに住む人間だけが、埼玉に用事がある。
さいたまだけで文化が回る。「用事が住む」だけでそれ以上ではないからゆるやかに文化が死んでいく。

早く東京に住みたいが「さいたまから東京に移り住む」がもうどうしようもなくダサくて今のところ詰んでいる。どうすればいいですか?

愛デカすぎる

お題「プロポーズ」


あなたは「クソデカイ愛」をご存知だろうか?

私はとてもご存知だ。

クソデカイ愛を知らない人にクソデカイ愛を説明するのはとても難しい。知っている奴は知っている奴としか同言語で喋れなくなるからだ。


デカ愛を知らない人はもうこの時点でワケが分からないだろうが、知ってる奴は「分かる!」となってると思う。


ここで言うでかい愛とは間違っても性愛のことではない。 性愛という段階は通るかもしれないが、重要なのはセックスのあるなしではないという事だ。 


なんなら、好意すら関係ない。


その人のことが、圧倒的に嫌いであれ、好きであれ、その人がいなくなったらもう片方は機能しなくなる。それがでかい愛の作用だ。


それを踏まえて、私には愛してやまない男がいる。愛を知っている奴なら当然にわかるだろうが一応言っておくと付き合いたいとか結婚したいとか、セックスしたいとかそういうことではない。

いや、したいかしたくないかで言ったらしたいということになるだろうが、違う。

性別が同じなら良かったと思う。男女だとどうしても行き着く終わりがある。その先にはいけない。欲が絡む。生物の本能に支えられている気がする。

性別が同じなら、地獄の底までこの世の果てまでただ一緒にいてえよなという感情だけで居れる。


追記 題名のリストカットと自慰は全く違う内容を書こうと思ってて辞めて消し忘れたやつです。でもいい感じだからこのままでいいや